三好達治『測量船』より「アヴェ・マリア」

声ノ習作

来春の「声ノ個展」に向けて、「声ノ習作」をはじめました。

「声ノ個展」については、おいおい書いていきますが、声をひとつの表現媒体として使いながら、さまざまな技術を組み合わせて、ひとつの作品の世界を表現していこうという試みです。演劇的なアプローチもあれば、音楽的なアプローチもあり……という形で表現していこうと考えています。

今回取り上げるのは、三好達治の詩集『測量船』。その中から「アヴェ・マリア」という詩をご紹介します。

「アヴェ・マリア」

三好達治

 鏡に映る、この新しい夏帽子。林に蝉が啼いてゐる。私は椅子に腰を下ろす。私の靴は新しい。海が私を待つてゐる。

   私は汽車に乗るだらう、夜が来たら。

   私は山を越えるだらう、夜が明けたら。

   私は何を見るだらう。

   そして私は、何を思ふだらう。

   ほんとに私は、どこへ行くのだらう。

 窓に咲いたダーリア。窓から入つて来る蝶。私の眺めてゐる雲、高い雲。

   雲は風に送られ、

   私は季節に送られ、

 私は犬を呼ぶ。私は口笛を吹いて、樹影に睡つてゐる犬を呼ぶ。私は犬の手を握る。ジャツキーよ、ブブルよ。──まあこんなに、蝉はどこにも啼いてゐる。

   私は急いで十字を切る、

   落葉の積つた胸の、小径の奥に。

   アヴェ・マリア、マリアさま、

   夜が来たら私は汽車に乗るのです、

   私はどこへ行くのでせう。

   私のハンカチは新しい。

   それに私の涙はもう古い。

   ──もう一度會ふ日はないか。

   ──もう一度會ふ日はないだらう。

 そして旅に出れば、知らない人ばかりを見、知らない海の音を聞くだらう。そしてもう誰にも會はないだらう。

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