平和のために

広島のこと

《つなぐ》の取材を各方面のメディアの皆様からいただくようになってきました。誠にありがとうございます。心より感謝申し上げます。

《つなぐ》の制作活動をつうじて、そして取材でさまざまにお話をさせていただく中で、子供の頃の自分に戻っているような感覚を覚えています。

幼少期は祖母が平和の尊さを説いてくれました。毎年夏になると、NHKで平和祈念式典を見て黙祷するのが常のことでした。後年、私が生まれる前に亡くなった祖父は、戦時下の知覧で特攻隊の青年たちを見送る仕事に就いていたと知りました。

マザー・テレサの伝記に感銘を受けた小学生の頃。そういえば人の役にたてる弁護士になりたいとも願って、憲法を読み込んでいました。

『いしぶみ』によって平和観の基盤を育まれた中学生の頃。高校生の頃には戦後五十年の節目を迎えて、部活で平和を願う合唱曲を集めて演奏したこともありました。

平和のために何かを出来ないかと願いながらも、日々の中に埋もれて何も出来ずにいました。コロナ禍で行政書士を目指したのも、その顕れのひとつだったのかもしれません。

転機が訪れたのは昨年、堀田季何先生の『人類の午後』と出会ってから。そこから俳句に導かれ、牙城さんとも出会い、句集『広島』を受け取りました。そして、今に至ります。

ずっと、平和な時代に生きていることに負い目と罪悪感を抱いてきたように思います。その中でようやく、自分の出来ることを見つけられたように感じています。

《つなぐ》は紆余曲折を経て、第四稿。だんだんとストレートプレイの要素も多くなってきました。ひとり音楽芝居と呼んだほうがいいのかもしれないとも感じています。演出を考えて、舞台美術も制作していきます。ライフワークとして毎年、夏になったら演じられるようにしていきたいとも願います。

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