句集『広島』を読んで

広島のこと

 中学生の時に『いしぶみ 広島二中一年生全滅野記録』と出会った。旧制広島二中の一年生321人の原爆の瞬間から、彼らが世を去るまでを描いたその本からは、大きな影響を受けた。私の平和観の基盤は『いしぶみ』によって育まれたと言っても過言ではない。

 しかし、いまだ広島を訪れたことはない。まだ自分には足を踏み入れる資格はないと断じ、訪れることを厳しく禁じていたようにも思う。

 だから包みが届いてから、しばらくは開けられなかった。自分の器で受け止めきれるか、全くもって自信がなかったからだ。

 包みは静かな佇まいで其処に在り続けた。其れを見るたびに罪悪感に苛まれ、目を背けた。自分には受け取る資格が本当にあるのかと、逡巡を続けた。しかし、もはやこれまでと観念して、包みを開けた。

 ようやく、句集『広島』と出会った。朱色の表紙を暫し見詰めた後、ようやく指先を伸ばせた。

 其処に書かれていた幾百の句を評する言葉を、未だ私は持たない。持つことが出来ない。

 ただ、自分の聲を、肉体を、精神を媒体として、己の逡巡も、震えも、弱さをも媒体として、この幾百の句を伝える行動を、声楽家として始めねばなるまいと考えるようになった。

 その行動が鎮魂となるのか、平和を願う活動となるのか、自分には解らない。しかし、この幾百の句を伝えていくことが、この句集を受け取った自分の為すべき事であろうと感じている。

(「里」二千二十二年十一月号掲載)

 

 

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